張ヶ谷順子 バストショット
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張ヶ谷順子

幼い頃からスポーツ万能だった。
水泳教室に通う傍ら、休みの日には両親に連れられ地元のボウリングセンターへ行くのが、大好きな時間。
8歳の誕生日にマイシューズをプレゼントされたことがキッカケとなり、次第に水泳よりボウリングに時間を注ぐようになる。

そんな彼女には、ボウリングをする上で、誰よりも有利なことがひとつあった。左利き!
両親は、箸の持ち方や、字の書き方にはうるさく矯正したが、ボウリングにおいては、
その左利きを矯正しなかった。

中3 ジャパンカップにて

今では良き相談者のノーム・デューク氏と

中学2年生の時、初の大舞台となる全日本中学選手権大会に出場。
しかし成績は下から数えた方が早いという結果に終わる。それまでに感じたことのない悔恨と「もっと上手くなりたい」という一心から、はじめてコーチに就き本格的にボウリングを始める。この頃からボウリングは生活の一部になっていった。
練習量も増やし、急速にボウリングにのめり込んでいく反面、なかなか信頼できる指導者に出会えず転々とコーチを替える時期が続く。

高校に進学。
のちにボウリング娘として共に活動する佐々木優香と同じコーチに師事。佐々木と出会う。

高3 千葉県マスターズ選手権大会 

高3 左から3人目、右は秋吉
高知国体にて

高知国体 共に闘い抜いた仲間と

しかし、様々な大会に出場をするもこれといっておもだった成績を残せず、自分の進むべき道がわからなくなり、次第に考え悩むことが多くなる。さらにヒザの怪我も重なり精神状態は悪化の一途。それでも「結果を出したい」という焦りから無理を押して大会に出場した。案の定、自分の思い描くように投げられず、その悔しさから泣きながら試合に臨むこともしばしばあった。

相変わらず状況に変化はなく、ボウリングを続けるか否かも含め、そろそろ真剣に卒業後の進路を決めなくてはならなくなった高校3年生の時に転機は訪れた。
高校生最後の国体予選。色々な感情はひとまず封印し、目の前にある現実を大切にし、ただただ丁寧に1投1投、投げ続けた。試合も後半に入り、本大会の出場権獲得までは50ピン差以上あったものの、とにかく最後の1投まで集中して投げることにひたすら努めた。その結果、1ピンの差で見事本大会出場権を手にする。それまでの鬱蒼とした思いが心の中からスーっと消えるのを感じる。
その後、国体選手として指導を受け基礎の大切さを学ぶ中で、「ボウリングが好き」という初心の気持ちを思い出す。そしてこの時はじめて勝負の世界、競技としてボウリングを意識する。「純粋に勝負に挑めるボウリングがしたい」という考えから『アマチュアとしてのボウリング』を意識するようになる。なんとなくではあるが将来の道筋が見え、ボウリングを続ける決意をする。

千葉商科大学に進学するとボウリング部に所属。初の女子部員となる。部員獲得にも力を入れた結果、翌年には以前より交友のあった秋吉夕紀が入部。同じ目標を持ち、切磋琢磨し成長し合える仲間を得ると舞台をチーム戦に移し、そこで目覚ましい活躍を見せる。

大1 千葉県選手権大会
右から1番目

良き相談者ナショナルチームの戸塚
(左から3人目)
秋吉(左から1番目)
張ヶ谷(左から2番目)

2005年、大学3年生で挑んだ全日本大学選手権女子3人チーム戦では3位、翌年の同大会では準優勝とあと一歩のところで涙をのんだが、その年の東日本選手権女子チーム戦では見事に優勝を果たした。
2006年の兵庫国体では成年女子団体戦に出場するが、自身の調子が上がらず苦しい試合となる。しかしチームの足を引っ張り責任を感じ落ち込む自身を、終始励まし支え続けてくれたチームの仲間を心から誇りに思い、チームワークの大切さ、チームで戦うことの喜びや意義を知る。結果は6位入賞に終わったが、何物にも代え難い経験を得た。
そして何より自分が求めているのは、「信頼し合える仲間と共に闘う団体競技としてのボウリングだ!」と気付く。それが可能なのは、やはりアマチュア。そして目指す以上はその頂点である「ナショナルチームでプレイをする!」という夢にたどり着く。

ボウリングに有利なその左腕で
数々のタイトルを勝ち取った

ボウリングを通して様々な経験を積み、技術面のみならず人間的にも成長をみせた2007年、数多くのボウラーが憧れる舞台、全日本選手権ダブルス戦でとうとう優勝を果たす。さらにはDHCレディースオープンツアーでベストアマチュアを獲得。「アマチュア界のトップを目指す」という夢に向かい着実に前進している。

現在の技術的な課題は投球フォーム、ボウルラインの安定を確実にすること。
精神面はもちろん、あらゆる意味でよりどころとなる確たるコーチというものが張ヶ谷にはいない。しかし、「だからこそ様々な人の、また様々な方法のアドバイスを受けられ、それらを試すことが可能。それはとても有り難く、自分にとってそれこそが本望」と語る。

2008年1月下旬、周囲のアドバイスで5年ぶりにドリルを変えた。1投目の感触は?との問いに「悪くない」と満面の笑みで答えた。

ボウリング娘の一員としてボウリングの普及を目指す活動をすると同時に、ナショナルチーム参加の夢に向け、弛まぬ努力と探究心を胸に日々練習に励む。