佐々木優香 バストショット
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佐々木優香

中山律子が、女子プロ初のパーフェクトを達成した府中スターレーン。
ボウリング好きの父に連れられ、2歳年下の弟と毎日通うのが日課だった。
初めてマイボール、マイシューズを手にしたのは8歳の時。
1996年、初めて出場した地元のボウリング大会で準優勝、手にした小さなトロフィーを自分以上に喜んでくれた両親を見て、ますますボウリングにのめり込む。
そして数々のジュニア大会で優勝、次第に頭角を現す。

1996年 ジュニアボウリング大会 2位

1998年 オール関東ジュニア
トーナメント 3位

小学4年生の時、ジャパンカップ初観戦!今までに味わったことのない会場の臨場感とPBA選手の迫力に、いつの間にかプロの存在を意識するようになる。

1998年 ジャパンカップで記念撮影
中央:ブライアン・ヒムラー
右:弟・翔梧

中央:トミー・デルツ・ジュニア

中でもお気に入りはPBA屈指のイケメンボウラー「ダニー・ワイズマン」。
それからはジャパンカップ観戦が、毎年恒例の行事となる。
中学校へ入学し、さらにボウリング技術に磨きがかかった。
1999年、全日本中学選手権の東京予選、東京都ジュニアボウリング選手権。
後に男子最年少記録でプロテストに合格する永野すばる、そしてPリーガーとなる長谷川真実を上回る3位で予選を通過、中学1年生ながら本大会への出場を果す。

1999年 東京都ジュニアボウリング選手権
写真中央:佐々木優香
右奥から3人目:永野すばる
右奥から2人目:長谷川真実

1999年 全日本中学選手権
試合会場にて

しかし、そんな佐々木にも心境の変化が・・・それはメジャースポーツへの憧れ。
中学2年生の佐々木にとって、両親を喜ばせる為に続けていたボウリングより、学校の部活動で友達がたくさんいるバレーボール部が楽しくなった…。
次第にボウリング場へ足を運ぶ回数も減り、週に1、2度通う程度になってしまった。

1999年、全日本中学選手権に出場
この後、次第にボウリングから遠ざかる

そんな時、年に1度の行事であるジャパンカップの観戦。
そこで佐々木はある人と再会をする。
・・・憧れのプロボウラー、ダニー・ワイズマンだった。

2000年、ジャパンカップにて
ダニー・ワイズマンと再会

試合後のボウリング教室。
佐々木はワイズマンからクラウチングスタイルを教えてもらった。
この出会いが転機となり、再びボウリング場へ通う日々が続く、「いつか同じ舞台に立つことを夢見て」、今度は自分のためにボウリングへの情熱を注ぎ始めた。

高校入学後、アベレージは185をマーク。
これまでにない万全なコンディションで全日本新人選手権に臨んだ。
しかし、突如できた魚の目が原因で思うようなボウリングが出来ず、予選落ち。

さらに翌年、ボウリング人生で初めてのスランプを経験する。
どう投げても自分が取戻せない、アベレージは下がる一方。
原因不明のスランプのまま1年後、東京都国体予選へ出場。
佐々木は、ここで本大会出場の最後の1枠を争う大接戦を演じる。
結果はわずか20ピン届かず、本大会出場は逃した...。
しかし、人生初の大スランプをこの時いつの間にか乗り越えていた。

2005年、大学へ入学し、ボウリング部へ所属。
競技スポーツとして続けたボウリングは12年目を迎え、アマチュアボウラーとして続けるのか、それともプロボウラーを目指すのか?そんな選択肢が徐々に近づいてきていた。
そんな時、ボウリング人生2度目のスランプ・・・アベレージは150にまで落ちてしまった。
ボウリングをやめようかと悩む日々。
しかし、これまで一緒にボウリングを続け、PBA挑戦を夢見る弟を見て、再びボウリングに対しての想いが膨らむ。
「プロテストへの挑戦」・・・いつしかそんな考えが頭をよぎるようになった。

2006年、ボウリング教室にて
中央:PBAのブラッド・アンジェロ
右:弟・翔梧

「夢を諦めたくない!」
佐々木はプロボウラーの道へ歩むことを決心した。
夢はジャパンカップ!ダニー・ワイズマンと同じ舞台に立つこと!
その実現へ向け、佐々木優香の挑戦が始まった。